「芸は身を助ける」は海外に出ても同じ。「芸」のある人が本当に羨ましい。
ぼくは日本語講師としてベトナムで生活しています。
その中で「日本人」であることを期待されるシーンがままあります。
例えば
同僚や友人で弓道や居合道を修めて来た人間の演武はベトナム人たちに大うけ大歓迎です。
また、日本の職人や熟練工は強い憧れと敬意を持って迎えられています。
これらの日本の知識・技術・技能にたいして、こう言う言い方をしていかはわからないけれども、まさに「芸は身を助ける」ということです。
(これまでの「製造大国」日本を作り上げた日本式経営・運営や明治以来他の先進国に追いつき追い越し対等に付き合うために身に着けてきた慣習や常識に習熟していることも「芸」と言っていいかもしれません。)
グローバル化が進む今の世の中だからこそ、日本(ローカル)の文化に習熟することが面白みや強みになるということですね。英語が話せるだけの人間なら吐いて捨てるほどいます。(英語などの言葉を使って)相手の知らない・足りない何かを伝える・提供することに価値があるのだと思います。
(※相手に「芸」を伝える手段として英語などの語学や多様性への理解はやはり重要です。伝える中身と伝える手段、両方大切ですね、という当たり前の話です。)
ただ、立派な「芸」がないとすぐに悲観する必要はありません。
というのも、そもそも日本人(異邦人)であるだけで楽しく交流してくれますし、歌や踊りなどのちょっとしたパフォーマンスができるだけで随分と歓迎されるからです。手品やパントマイムなどの言葉のいらないものも素敵ですね。ベトナム(ラオスも)は何かにつけて歌って踊るお国柄なので「音と一緒に」できる芸は役立つ機会が多いです。
これまで、ベトナムに訪れた友人たちがベトナム人に見せたものとして
よさこい・弓道・居合道・エール・折り紙・書道・着物着付け・コマまわしなどがあります。どれも相当受けていました。また学生に向けて日本企業についてプレゼンしてもらったこともあります。これも学生たちは真剣に聞いていました。
ただ、僕自身の話をすると「ノースキル文系学生」かつ「ノー芸」で(歌も踊りも下手。一番時間を費やしてきたマージャンはベトナムでまったく見ない。)何かを魅せることもできず、友人たちをはじめとした日本人の色んな「芸」とそれが歓迎される様子を見てうらやましく思い、泥縄式ではありますがこれからボツボツ始めていこうという今日この頃です。